ブラタモリで札幌が取り上げられました♪
先日、録画しておいたブラタモリ(NHK総合 毎週土曜PM7:30~8:15)の「なぜ札幌は200万都市になった?(2015年11月7日放送」を見ました♪
札幌に住む人間としては興味深い情報が満載で、目からうろこがボロボロと落ちました(笑)
開拓からの歴史や、なぜ札幌がここまでの巨大都市になったのかという理由を知ることができ、非常にためになる番組だったと思います。
現在の札幌市の人口は正確に言うと194万人で、全国では東京、横浜、大阪、名古屋に次いで5番目ということですが、番組では丸めて200万都市として説明しています。
先ず最初の案内人として、札幌市博物館活動センター学芸員の古沢仁さんの方から地質などに関する説明がありました。
札幌の開拓が本格的に始まったのは明治2年とのこと。尚、その前年である明治1年の札幌地図を見ると何と!?
家が2軒しか描かれていないということでした(驚)
豊平川を挟んで1軒ずつ建っているだけです!
開拓前の人口はたったの7人!!
開拓前に札幌に住んでいた倭人はたったの2戸7人だった!?と言われているそうです。
いや~本当に驚きました!
僅か150年前のことですよ!
この194万都市の人口がたったの7人だったとは!
(記録に残っているものだけとしては7人。尚、先住民として数十人のアイヌの方々が住んでいたようですが、詳しい記録がまだ見つかっていないそうです)
その2戸は「鉄一さん」と「茂八さん」というお名前だったそうで、どうなんでしょう?
子孫の方はいらっしゃるのでしょうか?もの凄く気になります(笑)
札幌は殆どが湿地!
さて、続きです。札幌が大都市になった理由を追跡するにあたり、案内人の古沢さんから地質に関する説明がありました。
概ね札幌駅北口のあたりから南側の市内中心部は扇状地(川が山から平野に流れ出るところで石や砂が扇状に堆積した地形)で、大小の石や砂がガッチリと組み合わさっているため、地盤が丈夫だということ。その理由から旧道庁の場所に開拓の拠点を置いたという話でした。
上の図の黄色部分だけが丈夫な地盤の範囲で、それ以外の場所、青部分は砂や泥が堆積した低地、桃色部分は泥炭地ということで、何れも水気が多い湿地であり、農地にも住宅地にも向いていない場所だったそうです。
(注:泥炭とは植物が腐敗せずに堆積したもの。水分が多く開拓の妨げになっていた)
明治32年でも札幌市内には13の湧き出し口があったそうです。(アイヌでは「メム」と呼んでいたそうです)
排水技術によって湿地が宅地へと!
そういった中、先ずは農地としての利用について、クラーク博士に続いた外国人教師が農業排水の技術により排水を行っていったそうです。土管を地中に埋設し、畑全体の水を効率的に均等に抜く技術を広めた結果、湿地を農地にすることが可能となったとのこと!
その後、明治初めには各地で大規模な排水が実施されることになりました。
明治20年には現在の北大構内から石狩湾(日本海側)まで直線距離にして10km!もの溝を掘り、排水を進めたそうです。これがあの「新川」の由来だったとは・・・この番組を見て初めて知ることとなりました。
この一大排水事業により、先ず農地が広がったことで札幌の街が発展するための受け皿になったそうです。
その後、戦後になって、開発した農地が安全な宅地として提供されることになり、200万都市を創るベースになったということでした。
札幌の歴史が「排水」から始まったとは予想だにしていませんでした・・・。
開拓者の方々のご尽力に頭が下がる想いです。
<続く>
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